「広大なる神の愛」  06.10.15  大嶋名誉牧師
                    ペトロ一書3章13〜22節

 第一に『私達が抱いている希望』それは言うまでも無く、
イエス様の十字架の死と復活です。 ローマ書10章:9-10節に
『口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを
死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われる
からです。』とあります。

 第二の問題に入ります。ある人が、人間の死後はどうなるか?
と聞いて来ました。これは難しい問題です。二重予定説と
万人救済説と言う二つの救いに関して正反対の対立する
信仰があります。
 先ず二重予定説の話をします。神様の全知全能と自由を
強く主張する人は、神様は・救いに予定指定人と・滅びに予定
されている人もいると言います。これが本当なら、人類の
大部分が地獄行きです。恐ろしい話ですね。
 次に万人救済説の話です。『神は、その独り子をお与えに
なったほどに、世を愛された。』と言われている。この世界は
最後には全ての人が救われると言います。ここでは罪の
悔い改めが見落とされています。悔い改めの無い世界は
地獄です。

  私達は、極端などちらの説にも同意できません。
 そこで第三の回答が今日の聖句です。礼拝のたびに唱和
している使徒信条で『主は、死にて葬られ、陰府に下り、
三日目に死人のうちより甦り』と唱和します。イエス様は陰府に
苦しんでいる霊たちに伝道する為にお降りになったのです。
『ノアの時代に箱舟が作られていた間、その信仰をあざ笑った
人々は』突如として襲って来た大洪水に溺れて後悔と悲しみと
恐怖の中のまま陰府の世界にいたのでしょうね。
 そこへ『安心しなさい。あなた方の罪は私が全て贖ったよ』と
お告げになったのです。イエス様は最後の審判のその時までに
一人残らず救うために、陰府のどん底まで伝道に行かれます。

 十字架にかけられた、血潮の滴る無残な姿のまま、
陰府の世界にまで救いの手を差し伸べられるイエス様に
賛美を捧げましょう。